コラム

心理的安全性を生む対話

1.はじめに

マサチューセッツ工科大学のエドガー・シャイン教授が提唱したと言われている心理的安全性。その心は「組織の課題や挑戦に対して、安心して行動を変えることができる、と人々が感じるために心理的安全性は、重要である。」です。1965年にシャイン教授が安心して行動変容できると提唱した後、1999年にはエドモンドソン教授がチームに着目し信頼関係の構築が重要であるとの論文を発表しています。最近では『心理的安全性のつくりかた』という本のヒットをきっかけにさらに注目を浴びています。

心理的安全性は感じるものであり、手に取れる形で存在するものではありません。だとすれば、目には見えない職場風土や雰囲気、人間関係といった無形の要素に対して何をどのように取り組めばいいのでしょうか。

人材育成や業務推進のために1on1などの対話の場を設けたり、定期ミーティングを開いたりしている企業も多いでしょう。ですが、せっかく忙しい業務時間を割いてコミュニケーションを重ねても、対話の質が低ければ効果は見込めません。
社内の人材育成に対話を取り入れる際に必要な視点と具体的な方策について心理的安全性の観点から紹介します。

2.なぜ今「心理的安全性」が求められているのか

職場が安全である状態とはどのような状態でしょうか。そしてなぜ安全性が求められているのでしょうか。

働き方改革の推進とハラスメント対策の2つの観点が考えられます。
日本の生産年齢人口(労働に従事できる年齢の人口で15~64歳を指す)は1995年の8716万をピークとして減少を続け、2020年には7,406万人となっています。経済活動の担い手を増やすために、女性やシニアの活躍推進や、少ない労力で生産性を高めるための取り組みに力が注がれてきました。
生産効率のためのデジタル化や省力化は弊害も生みます。必要な仕事の手順やコミュニケーションまで省力化された結果、職場における余裕や余白が少なくなってきました。飲みニケーションなどが代表例と言えるでしょう。本来であれば職場で構築される人間関係が希薄になり、お互いの人となりや背景を知らないままに仕事をする中で、安全性が感じられにくい状況が生まれます。

この状況はハラスメント要因の1つでもあります。人間関係や信頼関係が構築されていない間柄での指揮命令や指導が、業務遂行に悪影響を与えてしまうのです。社会の変化や価値観の変化により、これまで許されていた指導のスタイルが受け入れられづらくなっていることもあります。
心理学でよく説明される「マズローの欲求5段階説」でも示されるように、安全の欲求が満たされた上での社会的欲求(社会集団に所属して安心感を得たい)があり、承認欲求(所属する集団の中で認められたい)があり、その先に自己実現欲求があります。
つまり、安全でない場所では自分の能力を発揮したいと思えないのです。安全というのは、身体的安全のみならず経済的な安定や心理的な安全も含まれます。

職場は仕事をする場所であり、会社の目的や目標達成のために集うのがチームですから、必要以上に仲良くなることやプライベートを犠牲にすることはありません。しかし、円滑な業務遂行のためであり、一人ひとりが持ち味を発揮するためでもある安全性を確保するための対話は必要です。

3.対話の効果を高めるためのポイント

① 対話の質に影響を及ぼす関係の質に注目する
② 対話を組織文化と位置付け、全社的に取り組む

まず① 対話の質に影響を及ぼす関係の質に注目する ですが、対話が大事、コミュニケーションが大事、だからと言ってむやみに社員を交流させても意味がないどころか、場合によっては関係を悪化させる恐れもあります。量の前に質を見直すことが重要です。
同じ仕事をしても成果を出せる人とそうでない人とがいます。同じ人でも成果を出せる場合とそうでない場合があります。
その違いはどこにあるのでしょう?

マサチューセッツ工科大学のダニエル・キム教授が提唱している「組織の成功循環モデル」という理論があります。これは、成果をあげる組織の仕組みを明らかにしたものです。
高い成果を出す(結果の質)ためには、高い成果を出すための行動(行動の質)が必要で、高い成果を出すための行動を選ぶための思考(思考の質)が必要。その思考ができるためには関係や環境が重要(関係の質)なので、結果のためには関係に注目して対処するのが効果的だとする理論です。

このモデルで言うと、対話というのは結果や行動ですので、対話の質や効果を高めるためには思考や関係の質の改善が必要ということです。信頼関係が構築されていないところに対話の場だけを用意しても不十分ということが分かります。

次に②対話を組織文化と位置付け、全社的に取り組む ですが、ある会社の人事担当者の失敗談から考えてみます。その方はキャリアコンサルタントの資格を取得したのですが、いざ職場で部下と1on1をした時に、「キャリアコンサルティングとはこういうもの」という理論や手法にとらわれてしまい、部下から「もう話したくない」と拒否されてしまったそうです。①で示した関係の質も影響していますが、それに加えて、何のために対話をするのかという目的意識や共通認識、そして対話の先にどのような結果を期待するのかといったゴールイメージがなく、手法に頼ってしまうことの危険性を教えてくれる事例だと言えるでしょう。

企業は事業を継続する使命があり、事業を継続するためには人材が必要です。人材育成は一人ひとりのスキルアップだけでなく、チームとしてのスキルアップも含まれます。目標達成のためにスキルを持ち寄り、意見を出し合い、高い相乗効果を得られてこそのチームです。対話を手法に留まらせることなく、組織文化として位置付けて全社的に取り組むことで、人的資源を最大限に活かすことができます。

4.①②を実現するための具体的な方策

心理的安全性、そして心理的安全性を生む対話の文化が、結果的にパフォーマンス発揮に影響する、ということを1人ひとりが理解し、チームで実践し、組織全体で実現していくために、4つの側面に取り組んでいきます。

  1. 個人の内面(思考、感情、感覚など)
  2. 個人の外面(行動、身体、脳/神経など)
  3. 集団の内面(文化、相互理解、場の”空気”など)
  4. 集団の外面(システム、制度、物理的環境など)

組織開発の分野で話題となった『ティール組織』の土台となったのが、ケン・ウィルバーが提唱する「インテグラル理論」の4象限の考え方です。
個人の軸とチームの軸、そこに、内面と外面がそれぞれ掛け合わされて4象限となります。

個人の意識やあり方が変わっていくこと(個人・内面)は大前提ですが、周りからもわかるほどに行動に現れて習慣化されるための仕組み(個人・外面)が必要です。同時に、そのような個人のあり方がチーム全体で理解され組織文化となるための関係の質向上(集合・内面)や、全社的な取り組みとしての行動規範を示すこと(集合・外面)が、他の3象限にも影響を与えます。

この組織開発の理論を理解した上で、組織の現状を4象限に当てはめて点検することです。

  • 個人の能力は高いのにチームビルディングがうまくいっていない
  • 理念は掲げられているけれど、個人の行動が伴っていない
  • トップの言動に振り回されて、社員が疲弊している
  • 社員のコミュニケーションスキルに問題がある

必ずしも4象限に正確に当てはまるとは限りませんが、「心理的安全性」という目に見えない要素に対してアプローチする際のヒントにはなるでしょう。ともすれば感情論や根性論に走ってしまいそうな課題に対し、個人の意識の問題だけでもないし、仕組みの問題だけでもない、と視野が広がるはずです。

『心理的安全性のつくりかた』の中で著者の石井遼介氏は、「チームの心理的安全性が、チームの模索や挑戦による学習を通じて、パフォーマンスに貢献する」と説明している通り、対話の文化は、個々人での意識や取り組みの枠を超えて、チーム学習の積み重ねによって実現するとも言えるのです。

そこで、全社的に取り組む際に参考となるのが、厚生労働省が示しているガイドラインです。
一例として、ハラスメント防止のために事業主が講ずべき措置として挙げられた項目を見てみます。

  1. 事業主の方針の明確化及びその周知・啓発
  2. 相談(苦情を含む)に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備
  3. 職場におけるハラスメントへの事後の迅速かつ適切な対応
  4. (妊娠・出産等に関するハラスメントの場合) 職場における妊娠・出産等に関するハラスメントの原因や背景となる要因を解消する ための措置
  5. 併せて講ずべき措置(プライバシーの保護、不利益取扱いをしないことなど)

注目したいのは、1番に挙げられているのが「方針の明確化」である点です。
これは、トップダウン型のマネジメントが良いと言っているわけではなく、旗を立てることの重要性を示しています。経営者の意思表示がただのスローガンで終わってしまう場合は、意思表示に至る過程に問題があること(周囲との合意が取れていない、本人が納得できていない等)や、現場や実情との乖離も考えられます。

ここで注意が必要なのは、経営層が方針を言っていてもマネージャー層が発信できていない、といった現状です。実際に現場で指揮をとり施策を推し進めていくのはマネージャー層であり、1on1を実際行う当事者でもあります。経営トップが旗を振る時に、「また新しいことを言い出した」「タスクが増えるだけだ」と否定的に受け取る現場も多いかもしれません。
何のために取り組むのか、その結果どのようなWINがあるのか、そのWINは会社だけでなく、現場で働く自分たちや家族、取引先、その先にいる顧客にとってもWINをもたらはずだという確信が得られなければ、実現していきません。SDGsの観点からも「自社だけWIN」といった狭い視野では、企業が生き残るのは難しいでしょう。

私たちは仕事に限らず何か習慣を変える時であっても、意義やメリットが感じられなかったり、「他人事」であったりするうちはうまくいかないものです。自分事として少しでも納得感や実感が得られれば「やってみようかな」「やってみる価値があるかな」と気持ちや身体が動くでしょう。
組織においては、行動の質のための思考の質、そこにつながる関係の質を日常的に高めるための、組織文化の醸成や行動規範の整備が重要なのです。

4象限に当てはめて、できていること、できていないことを明らかにし、取り組んでいきましょう。

5.終わりに

組織の持続的な活動と発展のための大切な経営資源である「人」、その「人」を生かすための対話の文化をつくることは簡単なことではありません。ですが、組織の課題(ボトルネック)がどこにあるのかを点検し、1つずつ取り組んでいくことはできます。課題を明らかにすることは、解決への道すじが見えるだけでなく、成果を出すための方法(レバレッジ・ポイント)が見つかることでもあります。

感情と理論の両方にアプローチをすることで、チームの学習が促され、パフォーマンスを発揮できるチームになる。対話にはそんな可能性が秘められています。